rubberdoll  作: 玲
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rubberdoll-26 ラバースキン。

通路をふたつ曲がり、エレベータでさらに地階に下りた。エレベータに乗せられた
のは初めてだった。ということは、行ったことのない場所に連れて行かれるという
ことだ。僕にとって新しい場所とは、新しい苦痛の体験に他ならない。エレベータ
を待つ間、僕は全身にロドニーの視線を感じた。正確にいえば間近に寄せられたロ
ドニーの鼻息を感じていたということだ。

「高精細レベルの修復は初めて見たけど、なるほど凄いな。毛穴までなくなると、
なんだかぬめっとしたビニールみたいな質感に見える」

ロドニーが独り言をつぶやいてくれたおかげで、期せずして僕は自分の修復された
肌の状態を知ることができた。いったいどんな技術が使われているのか見当もつか
ないが、毛穴まで奪われてしまって、自分がまた一歩人形に近づけられたことはわ
かった。突然、腹の上に手の平の感触があった。ロドニーの少し湿った手の平が、
僕の下腹から乳房にかけて、いとおしむように撫でさする。

「おう。吸いつく。絹の手触りって聞いたけど、それ以上だ。くそう、もう一回で
いいから抱けたらなあ」

望んで得た身体ではないけれど、賞賛されて気分が悪いはずもない。いまさら撫で
回されるくらい不快でもないし、もっと賞賛されていたい気分でもあったけれど、
エレベータが開くチャイムが聞こえ、ロジャーの手は離れていった。ストレッチャ
ーがエレベータの箱の中に押し込まれ、そこでまた触られるのかなと思っていたが、
そんな間もなく、一階分を下降しただけで停まった。そこから長い一直線の通路を
運ばれていく。そして、ストレッチャーが停まった。

「タミ・ジョを搬送してきました」

頭の上でロジャーの声がした。ザザッという音とともに女の声で返事が戻る。イン
ターフォンのようなもので話しているのだろう。しばらくして、ガシュッという空
気の抜けるような音が響き、横たわった僕の頭の先で重いドアが開く気配がした。
一瞬空気が動き、ドアの方に吸い込まれていく流れを肌に感じる。気密された部屋
のようだった。

「ゴクロウサマ。コレガ受領書ヨ」

初めて聞く声のように思えたが、なにか分厚いマスク越しのようにくぐもっていた
ため、確かではない。僕のお腹の上にバインダーのようなものが置かれた。ストレ
ッチャーが押され、ドアをくぐる。向こうでロジャーの咳き込む声がした。

「スゴイ臭イデショ。呼吸障害ヲオコサナイウチニ、早クイッタホウガイイワヨ」

どれほどの臭いなのか、臭覚を喪った僕には想像もつかないが、気密ドアといい、
なにやら強力な薬品が使われる部屋のようだ。足先でドアがガコンと閉まり、一息
おいて頭の方でもうひとつのドアが開く音がした。二重ドアになっている。まるで
エアロックのようだ。ゴロゴロと僕を乗せたストレッチャーが押され、その部屋に
入ったとたん、僕は全身に焼け付くほどの光を感じ、まるで外に出たかのような錯
覚に囚われた。真夏の太陽の直射光を浴びているかのようで、瞼を通してさえ眩し
く感じる。ここが外でないことだけは確かだから、つまりは日焼けサロンの太陽灯
のようなライトで照らされているのだろう。

身体の下に手が差し込まれた。生身の手の感触ではなく、ゴムのような感触がある。
ゴム手袋をしているのだろう。としたら、ここは手術室なのだろうか。それにして
は明るすぎ、暑すぎるような気がする。身体が持ち上げられ、そのまま直に床の上
に寝かされた。

背中に金属の感触がある。と、開きっぱなしの口の中に、マウスピースが詰め込ま
れた。ゴム製の歯がマウスピースに埋まり保護される。耳の穴と鼻の穴に小さな塊
が奥深く詰め込まれ、鼻の穴の奥にあるマイクが封じられて、僕は聴覚を失った。
なのに、ガラガラとストレッチャーが動く音が響き、シュッとドアが開いて再び閉
じる音まで感じる。金属の床に直に接している頭蓋骨が、骨伝導で音を伝えている
のだ。正体不明の女性もいっしょに出ていったようだ。ようやく訪れたまったくの
無音状態の中、僕はまんじりともせず次の展開を待っていた。

サバンナ中のライオンがいっせいに咆吼したのかと思った。全身に叩きつけられる
風の音だった。振動が肉体を伝い直接耳骨に届く分だけでもこの騒音だ、実際の音
量は鼓膜を引き裂くほどかもしれない。あいにく僕にはもう鼓膜がないのだけれど。

背中に物理的な風圧を感じたとたん、硬直した僕の身体が浮き上がり始めた。荒れ
狂う風の中、僕の身体がゆらゆらと浮き上がっていく。これにはさすがにびっくり
させられた。反射的に身をすくめようとしたが、僕の身体は神経の命令を受け付け
てはくれない。唯一心臓の動悸だけが僕の意を表して昂進した。

しばらくして、最初の驚きが醒め、苦痛もないことを知って動悸も収まってくると、
荒れ狂っているように思えた噴流も、一定のパターンで注意深く計算され設定され
ているらしいことに気がつく。主に床からの高圧空気の噴流に乗って身体が無重力
状態のように宙に浮いているのだが、横と上からの噴流も、僕の身体を空中の一点
に固定するために重要な役割を果たしているようだった。

ひとつバランスを崩せば、たちまち僕の身体は乱流に翻弄され壁や床に叩きつけら
れることになると思うと身が竦んだが、ここまで手間暇かけて造り上げた商品にそ
んなリスクを負わせるわけもないと思い直した。轟々と渦巻く風を肌で感じながら、
騒音以外はふわふわと快いとすらいえる状態だったが、ただ僕を空気のゆりかごに
乗せてあやしてくれるためだけにこんな大がかりな設備を造るわけもない。

予想通り、気流が安定するやいなや、全身の皮膚にヒヤリと冷たい薬液の噴霧を感
じた。苦痛に備えて精神を緊張させていたが、これといって苦痛はなかった。なん
となく全身が麻酔を打たれた後の歯茎のように腫れぼったい感じになり、触覚や冷
たさや温かさの感覚が鈍くなってきたような気がする。ふと工場の組み立てライン
に乗って塗装工程にある部品のような状況が浮かんだ。塗料を噴霧されては乾かさ
れ、また噴霧される。もしそうだとしたら、ずいぶんと念の入った塗装だった。

苦痛がないと完全にわかって、緊張が解けた後、僕はこの騒音の中でうとうとと居
眠りまでしてしまった。それほど長い時間、この工程は続いた。風の音が変わって
僕は居眠りから醒める。鈍った温感でもわかるほどの冷たい液体が暴風雨のように
僕の身体を洗い始めた。洗浄工程に移ったようだ。となれば次は乾燥工程だろうと
いう僕の想像が当たり、熱風が渦巻き白熱光とともに僕の身体を瞬時に乾かした。

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