rubberdoll  作: 玲
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rubberdoll-10 開封。

バグンと空気が流入し、ゴム板が割れて上半分が持ち上げられた。ゴムスーツ越し
でもヒンヤリした空気が感じられる。部屋の中は薄闇ほどに照明が絞られていたも
のの、それでも目の奥が痛んだ。懐かしいジェシーの顔が覗き込む。

「ごきげんよう、ハルキ。また会えて嬉しいわ。リハビリは終わりよ。うーん、惚
れ惚れするようなプロポーションになったわね。おめでとう。もうあなたは動ける
けど、関節が錆びついてるから、急な動きをするととんでもなく痛いかもよ。ゆっ
くり膝を曲げてごらんなさい」

動ける。その喜びで頭がいっぱいになった。膝を曲げて脚を持ち上げようとしたと
たん、目が眩みそうなほどの痛みが足のすべての関節に走った。足の指さえもが軋
むように痛む。一度で懲りた。ここに監禁されて初めて自分の意志で身体が動かせ
る状態になったというのに、これではジェシーを突き飛ばして逃げることなど不可
能だ。慎重に慎重に、右脚を一度に1ミリずつくらいの気持ちで動かしてみた。股
関節、膝関節、足首、足指がぐぎぐぎ軋る。ちゅぶっと足の埋め込まれていたくぼ
みに空気が入り、足が動かしやすくなった。少しずつ動かせば関節に激痛が走らな
いとわかって気が楽になった。ある程度曲げたらいったん伸ばしてもう一度曲げる
と前よりも楽に曲がる。右脚を立てることに成功した。次は左脚だ。ジェシーが辛
抱強く見守るなか、両脚がほぐれた。ジェシーの手が僕の股間に伸び、肛門から突
き込まれている呼吸/排泄管を捻って引き抜いた。湿ったいやらしい音がした。つ
い反射的に肛門を閉めようとして、長い間拡げられっぱなしの肛門括約筋に痛みを
覚え、同時に肛門を閉じてしまえば呼吸ができなくなる身体にされてしまったこと
を思い出して、力を抜く。直腸に呼気の風を感じ、改造された自分の身体の情けな
さを痛切に実感して泣きたくなった。

「じゃあ次は腕ね。指もよく揉みほぐして」

ジェシーには僕の心情などわかるわけもなく、事務的に指示してくる。おためごか
しの同情などされるよりはましに思えた。手指の関節がまるで鋼鉄の手袋でもして
いるかのように固い。どのくらいの勢いで関節を動かしたらどのくらいの痛みが来
るのかわかってきて、もう専門家といえるほど痛みのオンパレードを経験してきた
僕は、ある程度の痛みなど苦にならない。しかもこの痛みは自分でコントロールで
きるのだから。ゴキッとかパキッとかゴリゴリっとか関節を鳴らしながら腕を持ち
上げて自由に動かせるようになるのにそう時間はかからなかった。素晴らしきかな
自由。自分の身体が自分の自由になる喜びは、麻痺の経験をした者にしかわからな
いだろう。目の前にかざした腕は、細くしなやかで僕の知っている僕の腕ではなか
った。細かったけれどか細いひ弱な印象はなく、光が当たって縁取られたラインは、
見惚れてしまいそうな美しい曲線を描いていた。なにより華奢な手首と滑らかに長
い指に魅せられてしまった。これが自分の手とは信じられず、何度も見直してしま
う。右腕と左腕が、長さや形はもちろん筋肉のつきかたまで、完璧な左右対称にな
っていることを発見して驚かされた。

「ドクター・ペインも、あなたの指の造形は会心の出来だといっていたわ。でも、
1ヶ月ぶりの垢を早く落としたいでしょう。後でじっくり全身を眺められるから、
今は起き上がることを優先しましょうね。あ、あなたの背骨は固まってるし、腹筋
はフォルム優先で弱められているから、手をついて腕の力で上体を起こして」

そうはいわれても、起き上がるという動作は条件反射で身に付いたもので、無意識
に頸や背を丸めようとしてしまうし、背筋や腹筋に力がこもる。背中から頸にかけ
て、鉄の心棒でも入っているかのように固まっていて、1ミリも曲げることが出来
ないのに驚いた。ビデオで見せられて僕の背骨はチタンで鎧われ、一本の金属柱に
されてしまったことは知っていたが、知っていることと実際に体験することはやは
り別物だ。頸と腰は不自由ながらも動かせるはずと思っていたが、頸にかなりな力
を込めたつもりなのに、わずかに顎を引くことすらできなかった。腰は、かろうじ
て動いたものの、曲がるというよりたわんだだけだった。僕の上体はほんの数ミリ
起き上がっっただけで力尽き、沈んだ。筋肉や腱が痛んだが、許容範囲だというこ
とがわかっただけよしとしよう。

2度目はジェシーのいうとおり、腕を突き、細腕に全力をかけて上体を持ち上げた。
上体が腰からではなく股関節を基点として持ち上がった。腕の力の限界だった。上
体は背スジをこれ以上なく伸ばし、胸を張った姿勢のまま起き上がる。上体が固ま
っている違和感が、強いもどかしさを感じさせた。

「じゃあ手を貸すから、台を降りて立ってみて」

身体中がぎくしゃくしているとはいえ、たかが足を脇に持っていって台から垂らす
くらいで手を借りる必要はないと思ったけれど、大間違いだった。僕は自力では腰
を捻ることが出来なかった。腕を脇について上体全部を宙に浮かし、足を振ってそ
の勢いでわずかに体の向きを変えるのが精一杯。力のない腕ではずっと身体を持ち
上げていることも難しい。じたばたしている僕を見かねてジェシーが僕の腰を保持
してくれる。ほとんどジェシーの手で体の向きを変えてもらったようなもので、よ
うやく僕は台から足を垂らして座ることができた。台の縁を掴み、支えにして膝を
伸ばしていく。バランスが危うい。ここでもジェシーの手を借りることになった。
床に足裏が着き、体重がかかったとき、全身がギシッと鳴った。痛みというより全
身の関節が不協和音を放ち、ジェシーの支えがなければそのまま床に頽れてしまっ
たかもしれない。

「歩くのはまだ無理だけど、立っていることはできるはず。自分でバランスは取れ
る?」

肯こうとして、頸がロックされたように動かないことを思い出す。なんだか壊れか
けのロボットみたいだと思いながら、ぎくしゃくと腕を上げ、親指を立ててOKの
サインを示した。足首と足指に意識を集中し、ジェシーが手を離してもかろうじて
バランスを取ることに成功した。上体がふらつくのは、過去に乳房の重みなど経験
したこともなかったからだ。腹筋と背筋が引攣る。確かに今の僕には歩くことなど
できそうもない。

ジェシーが車椅子を僕のそばに運んできた。ふらつきながらも何とか立っている僕
を抱きかかえるようにして背中に手を回し、ゴムスーツのジッパーを開いてくれた。
ジェシーがゴムスーツの割れ目に手をかけて、蜜柑の皮を剥くように接着されてい
たスーツをベリベリと剥がしてくれた。頭から蝉が脱皮するようにゴムスーツが捲
れていく。なんだか皮膚を剥がされているようで、心許ない。命じられるままに手
を拡げたり脚を上げたりして地獄の電撃リハビリスーツと別れることができた。

再びジェシーの手を借りて、車椅子に収まったときは不本意ながらほっとした。浴
場に運ばれ、全身を徹底的に磨き上げられた。ほんとうに快く、ジェシーに素直に
感謝したいと思った。接着剤と垢がいっしょになって、ボディブラシが目詰まりす
るほどの滓が出た。ジェシーは気にしていないようにふるまっていたが、僕の身体
は相当な臭いがしているに違いない。一皮剥けたその下から、新品同様の僕本体が
現れる。日光というものから隔離されてどのくらい経ったのだろう。2ヶ月くらい
だろうか。剥き出された僕の肌はアルビノのように真っ白だった。白人のジェシー
よりも白い。僕がジェシーの腕を掴み、自分の腕を並べてその色の違いを比べてい
ると、僕の疑問を察したジェシーが解説してくれた。

「手術の後の昏睡期間とリハビリ中のあなたには、女性ホルモンや抗生物質といっ
しょに皮膚のメラニン色素を破壊する薬が投与されてたのよ。わかったら腕を放し
てね。洗えないでしょ」

僕は白人至上主義者ではなかったし、日本人としての民族意識が強い方でもないか
ら、肌の色を変えられたことに憤慨するつもりはなかった。しかし僕の改造はいっ
たいどういう基準で行われているのか疑問だった。肌を白くする必要があるなら、
わざわざ日本人の僕を素材にしなくても、白人を連れてきた方が手間がひとつ省け
るだろうに。

そんな疑問は、自分の指先に爪がなくなっていることを発見した驚きにどこかへ行
ってしまった。ビデオでは確かに、指先を切り開かれたときに爪が抜かれていたけ
れど、それはまた生えてくるものだとばかり思っていたのだ。僕の指先には爪の形
のくぼみすらなくつるんとしていた。そしてよくよく見ると指先に指紋すらないの
を知って再度驚かされた。手の平には左右まったく同じ手相の線があったが、たっ
た4本だけで、他には皺ひとつなく、製図器で描いたかのように幾何学的な線だっ
た。手全体がまるで今鋳型から取り出されたかのようにつるんとしている。使い込
めば皺や掌紋が増えるのだろうか。

足の爪もおそらく同じようになくなっているのだろうけれど、車椅子に座らされ運
ばれている最中に不自由な上体を倒して目で確認することはできなかった。それで
足先を摺り合わせて探ってみた。やはり足の爪もなくなっているのがわかった。爪
はもう永久に生えてこないのだろうと僕は確信していた。またひとつ奪われてしま
った。次は何を奪われるのだろう。

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