rubberdoll  作: 玲
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rubberdoll-4 脱毛。

次に連れ込まれたのは浴場で、僕は車椅子に座ったまま全身を洗い清められた。毛
の硬いボディブラシで皮膚が剥けてしまいそうなほど擦られたが、マッサージと思
えば気持ちがよかった。傷が癒えたばかりの喉と股間も、他と同じように擦り立て
られ、身が竦む思いで痛みに備えたものの、ちくりともしなかったのは驚きだった。
背中を洗われるときは介助士が僕を赤子のように持ち上げ、その間にもうひとりの
介助士がゼリーまみれの車椅子を洗浄した。せっかく洗った車椅子に泡まみれのま
ま戻され、顔と頭を洗われたとき、その感触で自分の頭に髪の毛が一本もないこと
に気がついた。手術のために剃毛するのはよく聞く話だから、股間の毛はわかるけ
れど、よくよく見ると腕にも脚にも臑毛どころか産毛さえなくなっている。どうや
ら僕は全身を完全に脱毛されているらしい。

「少し頭がザラザラするわ。人間ってほんとタフよね。あんな強力な薬品で毛穴の
底まで焼き尽くされても、まだ生き残っている毛根があるんだから。でも、あと2
回の脱毛処理でキレイさっぱり永久脱毛できるわ。汗腺まで焼かれて、体温調節が
できなくなるっていう副作用さえなかったら、私もこの脱毛処理を受けたいんだけ
どね」

胸がざわざわして居たたまれなくなった。男と声だけじゃなく、眠らされている間
に体毛さえ奪われていたとは。つるっぱげにされた自分の今の顔を想像し、そんな
顔を誰かれ構わず見られたと思うと、恥ずかしさのあまり泣きたくなる。しかし、
そんな僕の想像はまだ甘かった。実際は鼻毛も眉も、睫さえもきれいさっぱりなく
なった、宇宙人のようなのっぺり顔にされていたのだ。

頭から冷水シャワーを浴びせられ、泡が流された。乾いたタオルで全身を拭き清め
られる。

「水を飲みたいでしょうけど、弛緩剤が効いている間はうまく飲み込めないのよ。
舌も動かないでしょ。だからもう少し待ってね。弛緩剤が切れるまで後2時間はか
かるから、その間2回目の脱毛処理を済ませちゃいましょうね」

車椅子が押され、浴場の奥に連れて行かれた。そこには細長い浴槽があって、壁の
ノズルから何とも不気味な赤黒い泥が流れ込んでいた。ジェシーの眉が顰められて
いるのはその泥の臭いが凄まじいせいだろう。鼻と口にチューブを挿管されている
僕は、その臭いに悩まされることもない。もしその臭いを嗅いでいたら、そんなヘ
ドロのような液体に身を浸されることに怯んでいたことだろう。ゴム手袋をした介
助士が僕を抱き上げ、その泥の表面にそっと浮かべた。頭と腰が押しつけられ、ず
ぶずぶと身体が泥の中にめり込んでいく。急に怖くなった。すがるようにジェシー
に目をやると、彼女は片手で鼻をつまみながら手を振っていた。

泥が目に入りそうになって慌てて目をつぶる。もし目に入ったらしみるどころでは
ないような気がした。どぷんと、僕の全身が没した。比重のせいか、僕の全身は泥
の中に完全に浸り、浮くことも沈むこともなく安定している。しばらくはどぼどぼ
と泥の注ぎ込まれる音を、身体全体で感じていたが、それも止んだ。完全な静寂が
僕を包む。不安で心が竦み上がっていた。汗腺まで焼き尽くす薬剤が痛くないはず
がない。予想は的中した。待つまでもなく、全身の表面がチクチクとむず痒くなり、
あっという間に体中を火炙りにされているかのような焦熱感が襲ってきた。生きた
まま火葬にされているかのようだった。後で知ったことだが、この脱毛処理では低
周波電流まで流されていたのだそうだ。弛緩剤が切れるまで2時間とジェシーはい
っていた。最悪それだけの時間耐えなくてはならないということだ。しかし、最後
まで耐える必要はなかった。痛みのせいというよりも、その苦しさを叫んでのたう
って表出できないことでの内圧の昂りに、僕の精神はあっけなくショートしたよう
だった。

気がつくと、ゴム張りの洞窟に戻されていた。首から下は分厚いゴムスーツで包ま
れ、腕も脚もストラップで締め上げられていた。反射的に身体に力を込めると、ラ
バースーツの下でわずかに筋肉が引攣る。筋肉をひくつかせることがこれほど嬉し
いことだとは思いもしなかったことだ。頭の横で床のラバークッションが揺れる感
触があり、精一杯目をやるとグラスを手にしたジェシーが見えた。ジェシーの手が
僕の頭をもたげ、唇にグラスが押し当てられた。

「慌てないでね、むせるから。舐めるように飲むのよ」

ただの水が、どんな飲み物より美味しかった。細胞のひとつひとつに染み渡るよう
だった。自分でも気がつかずに涙を流していた。一気に飲み下したい欲求もあった
が、この快感を少しでも長引かせたい気持ちが勝った。ほんのわずかすすり、下を
捏ね回して口腔全部で味わう。最後の一滴まであますところなく啜り込んだ。1リ
ットルでも2リットルでも飲みたかったけれど、与えられたのはグラスに半分。も
っと欲しいとどうやったらジェシーに伝えられるか考えているうちに、ジェシーが
口パイプを手にしていることに気がついた。思わずイヤイヤをした。首が引攣った
けれど、わずかに頭が動いた。

「いい子だから、素直に従ってね。じゃないともうお水も飲めなくなるし、弛緩剤
漬けにされるのよ。傷は治っても、しばらくはこうして拡げておかなくては、狭ま
ったり癒着してしまう可能性があるの。だから抵抗しないで、口を開けてね」

ちっぽけな意地がかすかに頭をもたげたけれど、そんな意味のない意地のせいでま
たあの無感覚状態に戻されるのは耐えられそうもなかった。僕は観念して口を開い
た。その口の奥に、潤滑剤よといいながらジェシーがスプレーを吹きつけた。弛緩
剤も鎮静剤も注射されていない状態で、太いパイプを食道の奥深くまで突き込まれ
るのは死ぬほど苦しいだろうと想像していたが、スプレーのせいか、いままで入れ
られっぱなしにされていたせいか、じつにあっけなくパイプが滑り込んだ。吐き気
もない。胃カメラの3倍は太いパイプだというのに。驚きが目の動きに出たようで、
ジェシーが察して応えてくれた。

「痛くも苦しくもないでしょう。吐き気もないよね。ドクター・ペインの手術のお
かげよ」

がぼっとゴムの全頭マスクが頭に被せられた。ジッパーが閉められ、僕は闇の中に
閉じこめられた。ゴムの厚みと密着度でもう首すら満足に動かせない。それでも、
自分の意志で筋肉をひくつかせられるだけで、ずいぶんと楽に感じた。点滴に安定
剤が入っていたのかもしれないが、そんなものなくても熟睡できた。次々に加えら
れる信じられない暴虐をほんの一時でも忘れるためには、眠るしかなかったのだ。

次の日、僕は弛緩剤で動けなくされた後、最後の脱毛処理を受けさせられた。脱毛
泥に顔まで沈められて、根拠もなく眉と睫は残された坊主頭の自分の顔を想像して
いたことが、ただの思い込みだったことが否応なく理解させられた。そんな自分の
顔など想像もしたくなかったが、ジェシーは脱毛完了記念といいながら、車椅子に
乗せた僕を鏡の前まで運んでくれた。鏡に映った自分のあまりに異様な容貌に、目
をつぶることも背けることも忘れて、呆然と見入ってしまう。ジェシーは何かの用
事でどこかへ行ってしまい、僕は鏡の前に放置されてしまった。これが自分の顔と
は思えなかった。顔が浮腫んだように見える。目が異様に腫れぼったい。両生類じ
みていた。奇妙で、奇怪で、情けない顔だった。こんな顔は絶対に人に見られたく
ない。個室に戻されゴム袋にくるまれる方がマシと思えた。産毛すらなくなった身
体は妙に白っぽく弱々しかった。毛根を焼き尽くされ、僕の体毛は永久に失われた
と告げられたが、否応なしに目に入ってしまう自分の股間を見て、男性自身を切り
取られるという体験に比べれば、それほど悲嘆することもないように感じた。僕の
感受性はあまりの体験に麻痺していたのだろう。男根を切り取られて、いっしょに
男の意気地もなくしてしまったようだ。こらえようもなく涙がこぼれた。

それからの2日間、僕は洞窟部屋でゴム袋に詰め込まれた蛹となって過ごした。眠
るしかなかった。眠っても眠ってもまだ眠れた。身体は回復しても心の回復のため
に眠りが必要だったのかもしれない。しかし、心が回復するまでドクター・ペイン
は待ってくれなかった。蛹の中でどろどろに溶けたような眠りが突然破られ、ゴリ
ラのような介助士の手でゴム袋から抜き出された。寝惚けていたせいもあり、僕は
抵抗することもなく看護士のなすがままに裸を晒し、車椅子に拘束された。弛緩剤
は投与されていなかったけれど、長い間身動きひとつ許されず棒のようになって袋
詰めにされていた僕の筋肉は萎縮し、関節は固まってしまっていたから、抵抗しよ
うもなかったろうけれど。車椅子の上に点滴のバッグが吊され、腕に刺しっぱなし
の針に繋がれる。血管の中に点滴液が流れ込み、とたんに僕は弛緩剤の効果で身体
中から筋肉の張りが失われていくのを感じる。

僕は努めて何も考えないようにしていた。先のことを考えても絶望の底なし沼しか
ないとわかっていたから。なのに現れたジェシーは、手術の時間よと、ことさら大
声で告げた。とたん、心臓が破裂しそうに脈を打ち、直後に待ち受ける死ぬより悲
惨な運命を直視させられてしまう。脱出のチャンスも救出の可能性も皆無。僕には
舌を噛んで死ぬ機会さえ与えられなかった。せめて狂うことができればと思う。気
が狂ってもおかしくないほど悲惨な状況なのに、必死に正気を保ってしまう自分の
精神が恨めしかった。叫ぶことも懇願することもできず、とてつもない恐怖の内圧
に痺れたようになってしまった頭の片隅で、ああこんな時、恐ろしさのあまり失禁
することも、冷や汗を流すことすらできない身体にされちゃったんだなあなどと、
僕は妙に冷静に感嘆していた。シャワールームに運ばれ全身を殺菌洗浄された後、
僕は再びあの恐怖の手術室に運び込まれた。何故か涙も出なかった。

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